- 皆に優しくしたいけど、それは無理っぽい話
- 祖母に無償の愛を与えなくてよいのか問題
- 関わりの選別は「33」にとっても必要だろう
- 「3」としての表現者の役割が「33」にはある
- まとめ:適所に配置されたハブが33だと考えてみる
皆に優しくしたいけど、それは無理っぽい話
8月3日、祖母と祖母の友人の運転手をしました。
私は祖母のことが大嫌いなんですが、昨日は本当に無理だったのでシェアハピします。
祖母はASDでストレス耐性が低く、他責思考です。
祖母の娘(長女)は私の母です。母は祖母と同居し、認知症になった祖母の面倒を全て見ています。
ASD+認知症の組み合わせは最高に頭悪いです。
常に批判にしか目を向けず、感謝など1つもしません。他責で自己保持することだけを優先します。それは祖母の幼少期に関連しているでしょう。
プライドだけが先行する様は醜悪な悪魔そのものです。
エネルギーヴァンパイア部門で大会を開けば、祖母は入賞間違いなしでしょう。
祖母の悪口を言いたくて記事を書いたのではありません。
私は「運命数33」として、どんな人にも優しくできると自負しています。
それなのに一線を超えたある日から、祖母のことが受け付けなくなりました。
日が過ぎるごとに祖母のことが嫌いになっていきます。嫌いとかではない、無関心が進行していくのです。目に入れることすら嫌悪感がでてくる。…あれ、無関心じゃないな?
ともかく、努力がどうこうで変わらないのです。
初めは「目を合わすこと」が無理になってきました
2番目に「話すこと」が無理になってきた
3番目に「隣に座ること」が無理になってきた
最後に「同じ空間に居ること」が無理になってきた
この「同じ空間に居るのが無理」が厄介で、車の後部座席に座らせるのも無理なんです。
私の体調がどんどん悪くなっていきます。臭いニオイがしてくるんです。物理的な臭いじゃないみたいで、霊的臭い?なんでしょうか。酷い臭いがしてきます。
認知症で便失禁があるみたいだから、物理的に臭いときもあると思うが、確認しても臭いときがある。これは精神が受け付けなくなったからだと考えています。
「運命数33」として無償の愛を与える自信があったので、祖母と関わるたびに不甲斐なさを味わっています。…結局選り好みするんだ、って自分を責めてしまいます。
祖母の友人は「祖母の親友」にカテゴライズされていて、とても仲がいい2人です。
だから最初期の我慢ができる間は、いつも2人の運転手となって「2人の幸せ」に貢献していました。それが私にとっても救われる体験だったからWin-Winだったはず。
祖母は去年で車が乗れなくなりました。祖母の友人は運転がそもそも出来ません。
だから用事があったら2人の運転手になってあげたい。それくらい簡単なことだ。
それなのに、祖母が居ると考えただけで嫌悪感が出て本当に無理…。
昨日はさらに悪化していて、途中で2人を放置してしばらく1人になったりもしました。
「8月11日」に、盆の花を買いに連れて行って!と言われたので、初めは乗り気だったんですが、帰る頃にはゲンナリしていたので、母に代役をお願いして断りました。
断るときも罪悪感がありました。理由は「祖母が母の悪口を言うから」です。
祖母と母を一緒に居させたくありません。でも、母は祖母を捨てないので放置しか選択肢がないのです。それは「祖母と母の人生設計」なのでしょう。好きにしたらいいです。
祖母に無償の愛を与えなくてよいのか問題
無償の愛は「優しくすること」だけではないだろう。
間違いを正すこと、本人のためになる行いが「本当の愛」だと考えています。
私は「甘え」という言葉で、倒れている人に鞭打ちしたくありません。
しかし、甘えと定義しなければ改善されない状態もあると考えていて、それが現在の祖母の状態です。
そもそも認知症に陥った原因が「逃げ」の姿勢にあったと考えています。
常に他責し、それでも現実が追いついてきた時、人は空想に逃げ込みます。
都合のいい記憶を作り上げ、弱者=コントロールできる存在を悪者に仕立てるのです。
もちろん様々な要因が重なって、物理的肉体が劣化しただけ、なのも理解できます。
私がここで挙げているのは、認知症に陥るまでの30年の考え方・生き方の話です。
祖母にとって「私の母」は都合のいいサンドバックです。
自分の悪い部分は全て母のせいです。自分の機嫌が悪いのも母が部屋を散らかすせい。
母親のADHD傾向が、祖母のASDと最高に相性が悪いです。
祖母と母の関係は「賽の河原」のように見えます。学び効率の悪い、バカみたいな関係性だと感じています。…これが楽しいなんて正気じゃないです。
私は幼少期から2人の関係を見せられてきました。
だから、どちらが悪いのかも100%理解しているつもりです。
結局は「ASD・ADHD」が悪いのだろう。これさえ無ければ2人は仲良しだったかもしれない。魂の学びのために、2人は協定を結んで親子になったのだ。私にそれを改善する手立てはない。
2人が仲良くできるように努力しました。
片方ずつに教えを説いたり、苦しみを傾聴したり、両者の憎しみの原因に共感して解消させようとしたり。
祖母の「ASD=感謝ができない、言葉がない」の部分にも対策をしました。
私が献身的になることで『感謝とはどういう物か。人はどうすれば動くのか』を対外的に教えてたりもしました。
2人の人生を邪魔しないように、なるべく間接的に、押し付けがましくならない様に気を使いました。
…2人がアホすぎて怒鳴ることも多かったけど、邪魔はしていなかったはずです。
何も改善しませんでした。2人の「私に対する感謝指数」が上がっただけです。
…私に対する恩賞なんていらないんだよ。
その『ありがとう』を相手に伝えろって言ってんの! それすら出来ない豚どもが。
そんな月日が過ぎて、諦めがついたのが「今年3月」くらいだったと思います。
それから祖母に対する嫌悪感が隠せなくなっていきました。
祖母に必要なのは「優しさ」ではなく「熱湯」なのだと本気で思うようになっています。
私は人々の幸福のためなら殺しも選択肢に入れる人間らしく、隙を見て誅してやろうかと思う瞬間もあります。…それくらい不調和を見過ごせないのです。
ですが、誅しても意味なんてありません。私はかしこいのだ。
「母と祖母」の関係は魂のレッスンです。それを邪魔することは人を殺すよりも悪い。
2人が魂で楽しめているなら素敵じゃないか。母も内心楽しんでる、なら私の助言なんて必要ないのだ。そして私も必要ないのだ。
関わりの選別は「33」にとっても必要だろう
「33」として全部に優しくありたいのよね…。自己犠牲で世界平和を達成できるなら喜んで人身御供に参ろう。それくらいの心持ちです。
…だけど同時に「33=神様の道具」であるから、必要ないことは全くできません。
数秘33に対して『なぜそんな事するの?なぜやらないの?』は最高の嫌味です。
…できないんじゃない。やらせてもらえないんだよ。(*´Д`)
好き勝手してる他の数字が嫌いになる瞬間もある。
楽な人生してて相談役に選ぶのは、いつも「9・33」です。
それは役目なので嬉しいけれど、もう少し理解をしてほしいと思う瞬間があります。
そして相談役として、話を聞くうちに『私じゃなくてもええよな…?』と思うことがある。つまり、愚痴吐きなら別にしてくださいって感じです。
その意味つまり、なんでもかんでも受け止めるのは違うって話。
じゃあどこまで「突き放してOKか?」の問題です。
33の好みで選ぶ? 自分の興味あるジャンル以外は関わらないと決める?
ハッキリ言えるのは、「33」に全部を吸収する「万能スポンジ無償の愛マン」は無理。
無償の愛=人間の感性を超えた行動原理。であるから、受容よりも行動に表れる。
受け身では達成できない。そして人々の内心は、その人にしか変えられない。
であるから、無償の愛とはつまり、変化の発露を与える触媒的行動 なのであろう。
それは理念・信念によって行動に移される全てのもの。
批判に晒されたとしても、貴方の軸が定まっているなら、行動は必ず愛に繋がっている。
「33」に必要なのは、揺るがない覚悟によって形成される自己信頼である。
その姿こそが「人身御供」みたいな、自己犠牲によって達成できる世界平和と映る。
「3」としての表現者の役割が「33」にはある
無償の愛をイメージするとき、「母親・受容・笑顔・花畑」なんかが浮かびます。
だから、隠居した神父・マザーみたいな印象になって、実力を隠しているけど現役時代はA級ランク冒険者だったみたいな、シークレット感を期待します。
のだけど、「33」は現役引退せずに、ずっと冒険者しているイメージがします。
隠居するのは「6・9」の役目。まだまだやることがあるんだよな、困っちまうぜ。
私は「3=人類の広告塔」と表現しています。
3は神様の広告代理人なのです。だから、基本的に人生は晴れやかで、自分らしく生きていれば「人生ハッピー!」になりやすいのです。
逆に『…ふえぇ、人生辛いよぉ』となっているなら、他人に迎合して我慢しているだけだと断言します。「3」は好き勝手に生きるのが最も輝ける数字なんです。
「33」は複雑です。受容を求められるのに、自分らしさを出す必要があるのだ。
好き勝手に生きていいの?!やったー!(o'∀'o)
__無邪気に喜ぶ33。しかしその後ろから魔の手が迫りくる……ッ!
手放す体験が起きる。辞めさせられる。
「33」は、正解を引くまでギャンブルをさせられる人生、だと感じています。
「3」は欲求に従っていれば、大体正解を引いていることが多いと感じる。
やりたいこと=人類の調和 に連動していなければ奪い取られる。
つまり、実質的に選択肢は少ない。自由がないと感じる原因はここにある。
神様の奴隷比率が高い。33のタイプによっては「悟り・無条件の手放し」を求められるケースが多いだろう。その姿は人間的ではない。
なのだが、人間的に楽しむ姿に辿り着かねばならない。
人間を超越しながら、私達は人々の前に立つ。
その姿を説明する言葉はない。私達の姿そのものが言葉を定義しているからである。
まとめ:適所に配置されたハブが33だと考えてみる
これは「スターシード」の考えと同じですね。各所に配置されることが決まっていたのです。だから、周りに「共感できる人」は少なくて孤独だった。
33がその土地に生きている意味があるのだと思います。行動ではなく、存在のエネルギーが浄化を手助けしているのです。
地の時代の役割はまさにこれで、「33の周囲=平和」だったのではないでしょうか?
私の周りではいい人ばかりでした。人に恵まれていて、恵まれないのは健康だけでした。
私はトラウマを抱えていて『人に殺される』と毎日真剣に考えています。
そんな私がずっと平和だったんです。引き寄せで酷い人が集まることもなく、私に合った心の優しい人に囲まれていました。
…理解者は1人も居ませんでしたが、人間的には理想の環境でした。
「人間関係の平和」は、INFJのエピソードとも関連している話です。
INFJは人間関係の争いが少ないです。周りが人間ドラマを起こしているのに、INFJの周りでは退屈な日常ドラマが放映されています。
これは「性質・波長」が環境に影響を与えることを意味していると思います。思い込みよりも強い、芯から溢れるエネルギーなのです。
これこそ『生まれ持った天賦」と呼べるもので、努力では習得できないはずです。
風の時代では「個々のグループ作成」が進んでいます。それぞれが求める空間へと旅立つのです。これまでの闇鍋はオサラバ!であります。
この意味は、空間=グループにおける「33の影響」が大きくなることを意味します。
↑で書いたように「33=空間を平和にしていた」とするなら、完全な調和社会の達成も夢ではないと考えられます。
私は『水が合わない』という表現をよくします。「33」にとって地の時代は生息環境が適していなかったのです。生存すら危うい環境であったでしょう。
それが急速にフォーマットされようとしています。風の時代はまさに33の為だと言えます。
「33=魚」だとして、陸でコイキングの様に跳ねるしかできなかった私達が、本来の素早さを取り戻したとするなら、どんな風に行動できるでしょうか。
これまでは漏れ出る光で、周囲を照らすことしかできませんでした。
それが能動的に照らす活動へと移り変わるのです。暗いところを見て諦める必要は消えます。目的地まで3時間かかっていたのが、泳げば数分で到着します。
そして、水の環境が「光の伝達率」を爆上げしてくれるのです。
私達は無力なコイキングから、色違いギャラドスになります。乱獲されちゃう///
「無償の愛」とは、行動によって発露される真理だと考えてみます。
言葉を使う必要は消えます。私達の行動と、それに伴っているエネルギーこそが彼らを癒やし、本来の姿へと戻すのです。
これからの時代では、33の役割を十全に果たせるようになるでしょう。
輝きの一端だけを知っている人類は驚くだろう、それくらい私達には潜在力があるのだ。
優しくできない自分を責める必要はない。優しくできないのも愛であるからだ。
私達33の行動には必ず「愛」が備わっている。だから問題は1つも起きない。
自信が少ないから責任を感じる。誰も私達の心根を受け入れなかったからだ。
これからは大丈夫。自然と自信がついてくる。褒められることが増えるだろう。
私達はすごい。身内だけでも今から褒めまくって自信をつけよう。
これからは楽になれる。前準備として「嫌なこと」は捨てていきましょう。
毎日寝ていても大丈夫です。なぜなら存在自体が空間を整えているからです。
死んでいないことだけで褒めましょう。通常の人間と苦労指数が違うのです。生きていることの重みが違います。だから、今日も生きてたらメッチャ凄いです。