…未来が見えないわ! 大変どうしましょう!??
1週間ほど前から、未来のイメージが浮かばなくなっています。
…これは一体どうしたことでしょう。熱中症で脳が溶けたのでしょうか。
例えば、「大きな声を出す」としたら、前の人が振り向くとか、嫌な顔されるとか、
色々な想像が浮かびますよね。…起きる想定っていうか、シミュレーションみたいな?
そういう『~したら、こうなるだろう』の思考過程が起きなくなりました。
想像がつかなくなった訳ではありません。テストの答案だとしたら考えて答えることができます。でも、必要ない場面では思考にすら浮かんでこないのです。
私の脳みそから、予想するための機能 が消えてしまったみたいです。
『想像しても意味ないわ。起きることは意味ないことだもの』
みたいに、豪胆な考えをする別人格がおります。…ほんとぉ? 心配じゃないの??
数ヶ月前と比べて、世界に対する興味が消えていることは確かです。
『他人の反応なんて制御できないのだから、考えるだけ無駄ですよ』とか考えているの?
ネガティブでもポジティブでもない、単純に「どうなろうがどうでもいい」の精神状態になっているのだと感じます。
「良いこと悪いこと」←起きてしまえば過去になるから重要じゃない、みたいな?
どちらが起きたとしても、それに意味付けするから苦しくなるし楽しくなる。
その意味付けに、私は興味がなくなったのかもしれません。
…これって、世界に対する興味が消えたことの証明になりませんか。(トリビア)
『未来を想像しても意味がない』と思っているのは確定的です。
これまでは「期待=行動のモチベーション」を維持するために未来を想像していました。つまり私の為でした。
期待するからやる気が出る。そこに辿り着くために努力ができる。
期待とは「エゴ」の属性であり、つまりエゴの希薄化を意味しているのでしょうか?
次の項目で、未来を想像できない感覚について説明してみます。
……支離滅裂な内容なので参考にはならないかもです。
時間の感覚がなくなった。
今やっていること、例えば「水を飲む・音楽を聞く」などが、すぐに過去になります。
現状の私には「過去と今」しか存在していなくて、目で見るなどの「今」を行うと、
すぐさま過去に収納される。
自分でも整合性が取れない発言だと思うんだけど聞いてください。
約束した日 (未来の約束) が過去に収納されて一括処理されるので、約束した日が、
「終わったこと・または漠然とした遠い瞬間の出来事?」という体感になって意識から消えるんです。予定を忘れそうになる。
この感覚は細かいことにも影響していて、水を飲んだり、窓を開けたのが「さっきなのか」「1日前なのか」を真剣に悩む瞬間があります。
…忘れているっていうか、数秒前も1日前も一緒というか。
んで、冷静に考えて1日も経っているわけないんだから、勘違いだと納得させるのです。
今・過去・未来、全てが同じ空間? 場所? に存在しているんです。
だから、「8月2日」というラベルを見て、8月2日の出来事だと理解することが出来るんだけど、体感としては「箱の中の1つの出来事」の認識なんです。
正常な人間ってのは、
数分先の未来を想像して、それを今に落とし込んで「今を楽しむ」のが普通ですよね?
その数分先の未来が私には存在しないのです。数分先の未来が「一瞬で今に処理される」
だから、厳密に言えば「今と過去」しか認識上、存在していないように思える。
未来から今に降りてくるのが、この世界の仕組みだと考えています。
つまり、想像して辿り着くのではなく、未来にあって今に想像が浮かぶのです。
「エゴの期待」がこの仕組みを覆い隠しています。
だから、叶った叶わなかった、予想だにしない出来事が起きた、とか人間は言います。
引き寄せに興味が持てないので詳しく説明できないけど、未来があって今にやって来る流れは正しいです。それを能動的に選択できるのが「引き寄せ」?
…でもそうだとすると、エゴには選択肢があるということに……。
え、でも私には選択肢がない。つまり依怙贔屓ってこと…? 神様ぶち殺しです♡
冗談はさておき、私の例えを挙げて深堀りしていきます。
予定が終わった物なのか、まだ先の予定なのか分からない
明日「8月3日」に法要の予定があるんだけど、
今の私には「8月2日に立っていない感覚」がしていて、8月2日を認識しようとすると認識した瞬間に過去になるので、現在が「8月2日」なのかが自覚できなくなります。
だから、明日法要に行く予定を忘れそうになって、『よかったまだ8月2日だ』と焦ったりを繰り返しています。すぐに時間間隔が消えてしまう。
……ちょっと意味わからない話ですよね。書いても意味ないと思って書いています。
未来を保持できなくなったのでしょうか。
人間というものは「期待=未来をイメージすること」を通して、世界の在り方を定義しているように思います。
その未来のイメージが無ければ、ただ漠然と「理由のわからない行動をする」の繰り返しになってしまいます。
これは「悟りを開いた人」が最後に辿り着く場所だと考えていて、求める物が真に無くなり、存在することだけが目的になった人の至る境地でしょう。
私はまだ欲求があると思うし、人に対する期待もしたいと感じています。
なんだけど、人と関わるたびに「他者との境界線」を強く感じるようになっています。
例えば、お店で「4~6人」で集まるとします。
そのときに会話が起きて、私の言葉で相手が反応する。私が注文したから品物が届く。
つまり、私がその空間に影響を与えていて、私が存在している証明もできているはずなんだけど、私の感覚では「そこに私は存在していない」のです。
このイメージをするとき、CIVなどの「Hexゲーム」が頭に浮かびます。
それぞれのユニットが六角形で囲まれていて、実際には孤立しているような……。
なぜか「赤色の枠」が頭に浮かびます。それが六角形で私を囲んでいて、周囲と断絶させているのです。
このイメージを否定できなくなった時、私は音が聞こえなくなる感覚に襲われます。
なぜなら、私がそこに存在する意味がないからです。
彼らには「私」が居る意味がなくて、実際そこに私は存在していない。だから私が消えても問題はないのです。
人がロボットに見える。
私は幼少期から「人がロボットに見える体験」を多くしてきました。
子供の私が発言すると、人が急に動かなくなるのです。ドン引きされたとかではありませんよ。呼吸とか瞬きとかが消えてしまったように動かなくなるのです。
その感覚が、幼少期の私と世界の不一致を生み出しました。
私が発言すると、世界がフリーズする感覚を受けます。
繰り返しますが「突飛な発言で困惑させた」ではありません。世界に波紋したエネルギーが虚空に飛んでしまったかのように、世界に音が無くなるのです。
私を除いた皆は、言葉や身体を通してエネルギーを送り合い、反響させることによって関係を築いています。それが同じ色や形をしていれば、仲良くできていると言えます。
これが一般的な関係の作り方で、私もしたいと感じるやつです。
…なんだけど、上にも書いたように、
「私がエネルギーを発信すると、彼らとは別の場所で反響している」
みたいに感じるのです。
彼らとマッチしていないエネルギーが原因なのでしょうか。伝達率が悪い。
つまり、言葉の意味が伝わらなくなります。それが「無理解・共感されない」に繋がっている可能性があります。
別の場所に飛んでいくエネルギー。これは何を意味しているのでしょうか。
私がこの世界に必要ないのなら、私が目覚める必要はなんでしょうか。
私の行動は一過性では役立ちますが、長期的な関係構築では役に立ちません。
であるなら、私は「人助けの道具」であって、私個人の人生ではないのです。
助けること=人生の目的、とすることもできますが、そこには「個人的満足度」が存在しません。前回の記事でも書いたのですが、私は彼らに親しみを感じられないのです。
助けることで意義を感じられる瞬間もありました。
それは「未来を想像すること」によって、つまり『元気になってくれたら嬉しいな』とか『きっと良くなるわよ!』という、自己イメージの増幅によって成り立っていました。
未来を想像できなくなった。←これに話が立ち戻ってきます。
この状態になったせいで、「他者が幸せになれる未来?」を全く想像できなくなりました。想像というか、頭に浮かんでこなくなりました。
この意味は、他者が不幸になることが決定したとかではなくて、私が勝手に抱いていた「他者への理想像」だったことを意味しているのでしょう。
であるから、他者に干渉することは実際はできていなかったと言えます。
単純に「こうなるだろう」と思って、それに誘導させるコントロールだったのです。
感謝されるから正しいと感じてきましたが、実際はその感謝する姿も私の創造物だった。
その可能性が大であります。ですから、結局は「一人遊び」なわけです。
この「一人遊び」の認識は幼少期から分かっていました。この世界は1人きりです。
利点はなんでも好きなように創造できる楽しさです。
「資源が足りない・土地が足りない」なんて言い訳は存在できなくて、やりたいことを好きなように達成できる場所が地球です。
似た境遇・感性の人を見て、私の居場所なのかな~と考えたりするときもあります。
…だけど違和感が消えなくて、他者のコメントや声が「別の空間にある異物」に見えてくる。
『行動を起こしていないからだ』
と自己批判して、勇気を出せば「友達100人」だとか期待していました。
だけど、そのイメージすら持てなくなりました。
悲観したから持てないのではない。単純に浮かばないのです。思考にすら浮かばない。
…この現象の意味はなんでしょうか。楽ではありますが、人間的ではありません。
考えられる原因①
「人の責任を背負わなくなった」←これが関係していると思いました。
これまで私は『人を幸せにしなければならない』と妄想し、その考えに理想を載せて、
イメージの方向性を確立させていました。
そしてそれを辞めたことによって、多くの時間とエネルギーを使わなくなったのです。
去年までの私は、1人で頭を無駄に回転させている状態だったと思います。
ですから、現在の「未来が浮かばない=理想を思考しない状態」こそが健全な在り方なのかもしれません。
体験こそが全てである。というお説教が聞こえてくるようです。
利点としては、① ドライで居られる。 ② 他者の発言・出来事に気分を左右されない。があります。瞬間的に頭が沸騰することはありますが、時間が経てば忘れています。
これは悟りを開いた人の本に書かれている内容と同じでした。
身体がプログラムに従って動いているだけで、私の思いとは関連していないのです。
↑↑この本が細胞の80%を作っています。この考え以外納得できません。(狂信者)
「ラマナ・マハルシ」さんです。経歴は興味ないので知りません。
弟子の本が読みやすくてオススメです。
誰がかまうもんか?!の電子書籍 - honto電子書籍ストア
↑↑この本です。噛み砕いて説明してくれるので、頭に入ってきやすいです。
値段も「不滅の意識 → 2300円」「誰がかまうもんか → 1980円」で安いです!
もう1つは、説教臭くて私は好きじゃなかったです。
覚醒の炎―プンジャジの教えの電子書籍 - honto電子書籍ストア
↑↑説教強め本です。なんか精神論くさい言い方してきてウザいです。
内容は同じこと言ってるんだけど、言い方で頭に入ってきやすさ変わりますね。
…悟り本って啓発本と紙一重だと思ってて、本質は真理なんだけど、そこに「努力」っていうカテゴリーを入れ込んでくる?というか、行動不足を叩いてくる感じがする本ってありますよね。
私はそういうの嫌いです。しんどい道が当たり前、それが悟りを求める人の人生です。
なら理解して応援しなさいよね。「不滅の意識」と「誰がかまうもんか」は寄り添いが強めで優しいです。…そうよ、これこれぇ!!
*話を戻して、「世界の分離によって私は孤立を強めている説」を語ります。
私が嫌いな人と「分離」が始まっているのかも
親が『手数料がどうたら~』『歳だから妥協する~』とか話してくるのが嫌いでした。
お金なんて心のために活用しなければ意味がありません。余裕があるのにお金をケチって苦労を増やすなんて馬鹿のすることです。
私の人生経験で「6割近く」がこの諦め主義者でした。残りは「心の傷」とか現状にアプローチする余裕がないので仕方ない人達と、前向きな人です。
レストランに入ったとして、周囲の客たちは大抵が「事なかれ主義」でしょう。
現状が楽だし、これまで苦労が少なかったから考えることもせずに座っていられる。
私はそういった人の「幸せ」にも関心を持っていました。どうにかしてあげたいと思っていた。だから常に視線を巡らせて、彼らの分析をしていた。
でもそういう「他人の責任」について嫌気がさして無視するようになってから、相性の悪さ・環境の違いが浮き彫りになってきました。
私は彼らと別れる段階に入っているのだと思います。
彼らと関わるたびに違和感を感じます。「赤色のHex線」で区切られているような感覚がします。環境を共有している限り、私は苦しむしかないのだと考えています。
ならば私は何処に旅立つのでしょうか。そこには「人」が存在するのかしら?
私が苦労して会得した「人助けの技術」はどうなるのでしょうか。
もし私が「お役所」として完成することを意味しているなら、
これからの私は「来る者拒まず去る者追わず」の固定病院みたいになるだろう。
…それで役目が果たせているなら安心します。だけどもし、逃げているだけで、
『私自身が幸せになる道を歩きなさい』と言われているとしたら、私はどうすればいいのか分からなくなる…。
私の望みや好きなものを奪ってきたのは、魂=神様です。
それなのに、私の目の前に助ける人だけはチラつかせて罪悪感を煽ってくる。
私が完成に近づくたびに、人間らしさが消えていきます。
それは手放すこと・捨てることを要求されたからだ。
…私の挑戦が不足していたからなのか? 魂のモチベーションにはうんざりする。
理想像へ導こうとするのは、他者の価値を否定している
人に対する期待 (改善できる、幸せになってほしい) は、理想像へ導こうとする働きだ。
そのシステムからの解放は、健全な在り方を作ると同時に、「無駄な努力」が消えることを意味しています。
無駄な努力とは、無駄なエネルギーの消費である。(ネオ小泉構文)
これからは「個人の時代」であるから、個々人の役割を果たしていくことが重要です。
だから、他者にエネルギーを割いている暇はないのだと思います。
産まれた目的が決められている。それが自己犠牲的で他者の為だとしても、
それを成し遂げることで満足する「魂」が存在しているはずです。
私に起きている現象は、その時代の訪れを証明するものだと考えています。
世界に私しか居ないとしても、これらの変化が「私=魂」を楽しませているのです。
つまり、「自我」にとって選択肢が存在していないことで意味する。
甘んじて受け入れなくてはならない。
これまでもそうだった。それがこれからも続くというだけ。
違いは、私の負担が減っていて、私個人を見つめるだけで済みそうな所です。
これまでは「目を忙しく動かして患者を探しているイメージ」でした。
これからは、必要な人が私を見つけてやってくるでしょう。
私は隠居した翁となって、リラックスして座っていればいいってことです。
それは私の仕事=魂のやりたいこと、だから、努力せずに続けることができるはずです。
問題点は、未来を想像できないから「エゴ」のモチベーション維持が難しいとこです。
今まで以上に「身を任せる」という意識が必要になってきそうなのだ。
不幸な人(魂)は存在していない
人助けをするなら持っておかねばならぬ考えであろう。拙者そう思う。
すべては演劇の一部である。文句を言い合いながら楽しんでいるのが人間です。
そこに横槍を入れたりするのが、私達みたいな「お節介マン」であります。
その横槍が強迫観念ではないか、しっかり見定める必要がありそうです。
人助けは褒められるから正しい行いに思えるが、助けることで遅れることもあると思う。
そもそも「不幸である」と定義するのは、彼らの回復を阻害するだろう。
言葉とエネルギーは一致させなければならぬ。なぜなら聞き手は無意識で悟るからだ。
悟れば、依存的な人間は私を喜ばせるために「不幸である状態」を維持するであろう。
助けを求めてきたタイミングが健全だと思う。もしそれで手遅れならば?
児童虐待など、人間的な倫理観に照らして「放置=残酷」だとする旨もありそうです。
でも、10歳を迎えずに病死する子供がいるように、すべては意味ある残酷さであり、人間の感覚では判断できない事柄です。
貴方がそこで『見過ごせない!』とするなら、それは求めていた演劇で、虐待を受け
ている子供は貴方を楽しませるための役割を演じている。
これらは協力関係であり、共同制作の映画なのです。試写会では握手しています。
狭い範囲で考えるならば、5次元とか?なら、意識レベルという物が低いとか考えることもできるだろう。戦争するのは200以下で、共同体形成は260↑からとか。
だけど大局で見れば、すべてただの設定にすぎない。
輪廻を抜けてもステージが変わるだけだろう。体験か集積にしか大きな意味合いはない。
放任は他者の価値を認めること
私は祖母が骨折してうまく歩けなくなってから、前と同じように扱っています。
周囲は祖母を手厚くもてなし、それを祖母は内心で「美味しい」と感じているので、改善する意欲が薄くて、半年経っても『うまく歩けない』とか言っています。
…いや、歩く練習してないやん。する気もないやん。なら何も変わらないに決まってるわ。
私は人のウソが見抜けるので、祖母は甘えているか逃げているだけです。
だから、たまに面倒を見るときは危ない場所以外は放置しています。
歩くのはクッソ遅くて時間がかかるけど、そんなのどうでもいいんです。
本人が歩く意思を増やすことが重要で、歩けない状態を「美味しい」と思っている状態が不健全なんです。
案の定、放置していれば最終的には自分で出来ます。
だから祖母の幸せを願うなら、甘えさせる環境を消すほうがいいと思っています。
だけど、心配する方も「その立場が美味しい」と思っている。
なぜなら祖母に感謝されたいし、助けている私が価値あると思えるからです。
つまり、お互いに「自分のこと」しか考えていない。他者の「本当の幸福」は考えていないのです。あるのは、周囲からの批判を恐れる心と、自己肯定感の補填です。
…説教くさくなるのは、愚痴吐きと同じですよね。失礼しました。
だいぶフラストレーション溜まっているんでしょうね。家族の怠慢は大嫌いです。
私は深刻な相談事をされても笑います。というか酷すぎると笑えるのが普通よね?
酷いことを相手にしたって、今話してるのは貴方なんだからどうでもいいです。
子供を虐待して殺したとしても価値の否定しませんよ。
逆に言えば、NPO団体に務めてたり、会社の社長でも期待値は同じでしょう。
つまり、人は成し遂げたもので「本来の価値」は変動しないのです。
これを「相談役」は念頭に置かねばなりません。これが難しいねんな…。
その人が「未熟」だと感じるや否や、アドバイス魔になって色々教えたがるだろう。
でも、これは全く役に立ちません。アドバイスはしない方がいいのです……。
どうしたいかは相手に決めさせるべきです。その一歩引いた姿勢が相手への信頼です。
信頼感こそが回復する手立てなのだろう。
エネルギーパイプを繋ぐのは相手に権限があって、それを繋いでくれたらエネルギーを分け与えることができる。これが対話中に起こっていることで、内容自体には意味がない。
だから、相手との関係を築くことが重要なのだ。…ほら、おじさんの穴はここだよぉ。
カウンセラーの役目は「土台の確立」なんでしょうね。前も書いていました。
具体的なアドバイスは「メンター」の役割。ちくしょー!僕も評価されたいですー!
まとめ:未来が見えなくても困ってないかも
未来が見えないと『大丈夫そ…?』ってギャルが顔を出してきます。
つむぎちゃん好き…。私は「プラナちゃん」が好きなので、プラナちゃんがギャルです。
……え、これってもしかして、すごくええんやないの? (寝耳にギャル)
*「寝耳にギャル」とは、思いがけない知らせに喜ぶオタクを表すことわざです。
未来が見えないと「金・世間体」の心配が湧いてきません。
人間強度バク上がりです。……すごいわ、これが私の本当の力…?
代償として人間らしさを失いました。
頼まれたら助けることができるけど、回り込んで助ける意欲がなくなってしまった。
うぉー!俺のカウンセラー資格はどうなってしまうんだー!!
私は「人々の楽しそうな姿・声」が大好きです。
それはそれとして、幸せになってくれなくても平気。どうでもいいんです。
幸せになって欲しいんじゃなくて、「相手のなりたい姿」が重要なんだってわかりました。
苦労して成長したいならそれも肯定! 楽して楽したいならそれも肯定!
私が対話相手に求めているのは「誠実さ」だと思います。
本当にそれが望みなのか、私は嘘が見抜けるから違和感を放置できないのです。
苦労するのが嫌…?えっと貴方喜んでますよね?…うわ、怒鳴らないでくださいよ。
改めて世界を見回してみて、人々は大丈夫だって認識できます。
好きなことだけで生きていくことが出来ます! 苦労はもはや調味料の一種です。
苦労話や愚痴は消えていくでしょう。諦める要因が存在しないからです。
『楽しく生活したい』の気持ちがあれば叶います。
私ができることは、不安を少なくしてあげることです。それは出航するまでの案内係みたいだと想像したりする。たまに助けた人から絵葉書が届く、そんな関係性です。
結論 未来が想像できなくなったのは、良いこと……ッ!