数秘33の思考回路を出力します

数秘33の私が思っていることを書いています。スターシードの視点も多めです

【数秘33】興味が急になくなる。でも人と関わらずには生きていけない難しい生き物、それが数秘33

 

私が人生で苦しかったランキングTOP3

 

 

私が人生で苦しかったランキングTOP3を紹介します。

1位は「人に殺される幻影に囚われている」

2位は「話が通じない。会話を楽しめない」

3位は「興味が急に失われる」

 

箇条書きで終わろうと思ったけど、思った以上に膨らんだので各項目ごとに分けて説明します。まずは第1位の「人に殺される幻影に囚われている」からです!

 

 

1位:「人に殺される幻影に囚われている」

 

1位は物心がついたタイミングで発症しました。虐待などは特にありませんでした。

前世の記憶としか説明がつきません。メガネをかけた男性が一番怖くて、日本は7割くらいがメガネを装着しているので、正直いって地獄です。

 

前世の原因を探るべく、私は前世療法にチャレンジしてみました。

一時期私は瞑想のプロになっており、5分あれば身体感覚を消せていたので楽勝でした。

 

その結果出てきたのは、「明治か大正時代、場所はアジア圏、おそらくシンガポール系。私は10歳未満の男児だった。路線電車が走っている。シルクハットと眼鏡を着た背の高い男性に首を絞められ、窒息よりも先に首の骨が折れて死ぬ。」

という過去映像が見えました。

 

その他にも「車椅子に座った病院服を着た老人。体にはチューブが一杯ついている。呼吸困難を起こしてそのまま衰弱死。」という過去も見ました。

死ぬときの冷たくなっていく感覚を味わえました。あーこれは怖いわな。と感じました。辛くても気軽に死ねない理由がここにあるって分かりました。

 

「槍で左目を突かれた。それは今生の父親の顔をしていた。」とかもあるけど、死ぬ恐怖関連は、首絞めと老人の2つでした。

 

 

この恐怖は、私の人生を壊したと思っています。

虐待されていないのに脳が体験したのと同じような状態になってしまった。

物理的な影響が無かったおかげで健常者として生きているけど、少しあれば精神病棟で一生を送っていたと思います。

 

この恐怖と反比例するように家庭は穏やかで、ASD・ADHD・逃避型の父親、という不満点もありましたが、概ね「幸せな理想像」を手にしていました。

それなのに、私は両親2人が怖いし、幼稚園から同居するようになった「祖父母」は最悪に吐くくらい怖くて、相談も無しに同居を決めた両親のことを今でも恨んでいます。

 

現状32歳の今でも影響は抜けておらず、眼鏡をかけた中年~老人を見ると身体が竦みます。

前世の解放療法を受ければいいと分かっているが、そう言った対人関係すら怖くて行動に移せずにいました。

そして学習性無力感に陥ったと考えています。

 

私はこの前世を抱えて生きる人生の意味を考えました。

おそらくですが、「カルマの解消」がメインテーマになっていると思います。

それは個人のカルマかもしれないが、おそらく家族全体のカルマの解消を担っていると考えています。それくらい「意味を感じられない無駄な恐怖」だと感じるからです。

 

メガネを装着している人物を無差別に恐怖するのですが、それ以外にも「権力者」だと認識すると駄目で、店の店員・警官・自分よりも年上全般、が皆怖い。

 

すれ違うと「私を睨みつけてる映像」が脳内にハッキリと浮かんできます。

皆が私を嫌っているように感じるので、何もしていないのに謝りたくなります。

私の存在自体が不快にさせているのだから、その人の前から姿を消すのが最善だと考えます。なので媚びるよりも、息を潜めるようにしています。

 

「ホ・オポノポノ」を熱心に取り組んでいた時期がありました。

現在も「ありがとう・愛しています」だけは習慣として行っています。

 

でも、どんだけアプローチしても消えませんでした。

私がこの恐怖を必要としている感覚がしています。おそらく技術をもって乗り越えることが望まれているのだと思う。

そうすれば私は多くの人々を救うことが出来るからです。

 

私は「ヤク中患者・浮浪者タイプ」の人を救いたいと感じています。個人的にはどうでもいいんだけど、なんか頭に浮かぶんだよね。だから魂の強制力ってやつだと思う。

 

 

さっさと専門の療法士に頼りなよ。って思いますよね?

私もそう思います。なんでだろうね、アイデンティティになっているのでしょうか。

 

それとも人生を諦めてしまって言い訳をしているのでしょうか。

トラウマを治せば人生を再開させなければならないからです。

それが嫌で私はこの恐怖を有り難いと感じているのでしょうか。

 

身体的証明ができないから、私はこの辛さを表面に出せずにいました。

大抵が嘘つきだと思われるし、実際親はそうだったし友人もそうで、私に感謝する人々も内心で「…大袈裟だなこいつ。」って思っているのが直感で伝わってくる。

 

ゲロ吐きそうです。私に相談してくる人は大抵大した苦労じゃなくて、私が相談すれば「嘘っぽい」で終わらす。私がこれまで聞いてきた相談内容で同情した案件は、片手で数えられるくらいしか無かった。

 

それくらい大衆は楽な人生を送っている。または自分で望んでその環境を享受している。だから相談に乗っても改善に向かおうとしない。

それを私は受容して、自身の輝きを維持し続けなければならない。

 

それが私の役目の1つで、今日も目を覚ました理由だからである。

 

 

 

2位:「話が通じない。会話を楽しめない」

 

2位は「スターシード・数秘11・数秘33」にはクリティカル案件ですね!

32年間で残った友達は0人です。全員ドアスラムして関係を切りました。

 

単純に話がズレているだけなら耐えられます。でもそうじゃないのだ。辛いのだ…。

なんというか「言語自体がズレている」感じがしていて、1文字も相手に通じていない気分になるんです。

 

『…え?俺が変なのかな??』って思う瞬間が本当に最悪の気分になります。

そのときの私を見つめる相手の瞳、それが最高に気持ち悪いです。

 

こっちを観察対象にしているような、こっちに寄り添おうと考えない「思考停止顔」が最高に嫌な気分にさせます。

嘲笑っていうのかな。自分が悪いと思ってない顔してるんだよね。…そこまで相手をバカにできるの凄いって思う。

 

…これが被害妄想であるのはあるだろう。

だけど私は直感が神レベルですごいので、全てが間違いじゃないだろう。

 

…あの、話している途中で「あ、これ駄目だわ」って感じる瞬間わかります?

話し切るまえに相手がシャットダウンしたのが伝わるんです。

そしてそのときの相手の思考回路が「なんやこいつ」なんですよね。

 

んで、そのときのパターンは2つで「興味として観察し始める」と「話をスルーして別の話に切り替える」です。

どっちにも共通するのが、こちらに対する尊重の気持ちが無いことです。

 

…私は自分の間違いを考慮に入れて対話を行います。

だから柔軟に意見を変えることができると思っています。なぜ大衆は固執するんだろうか。

相手を知るのが会話だと思うから、私は相手に真摯に向き合う。

それは「INFJ」の特性でもあるだろう。だけど、これは本質でもあると思う。

 

ならば考えられるのは相手がクズで、私は体のいい「対話ロボット」であるということ。

それを受容しているから、それが現実になったのです…。

 

……ん?ちょっと待って!

始まりは言語のズレやろがい、全部規定が悪かったとするのは癪に障るわよ。(プリコネ猫)

私たちはそもそも「雑談」をできない設計なのだろう。

目的意識あって、それ以外に興味を持っていない。だから大衆が行う人生は歩めない。

 

これまで多くの人生を歩んできた。もしくは臨時スタッフで人間社会に興味を持っていない。この2つの可能性により、私たちは「人間体験は今回はいらなーい」となっている…のだろう。

 

だけど、私はそれを悲しんでいるのだから、いらなーい、じゃねぇよなぁ??

単純に機会がなかっただけ、タイミングが悪かった、運が悪かった。

 

でも全てのタイミングは決められているから、これは私が設計したことだ。

こうして苦悩することで「人間社会からの離脱」を果たすことができた。

そして目覚めることを強制される流れに乗っていて、それしか残されていないと思うようになった。

 

 

辛さを乗り越えるために「開き直り」が必要で、それが出来ると人間強度が爆上がりする。

それは先駆者・リーダーに必要な素養で、自分の言葉を相手の反応で依存しないようにする為のものだったと捉えることができる。

テーマとして馴れ合いを求めていないのは確かである。

 

「数秘33の生き方」は依存と馴れ合いを許さないと感じています。

私たちは神様の道具として扱われることが多い。

説明もされず次から次に行動を要求される。その過程で大切だったものは捨てられてしまう。

 

数秘33にとってお金は価値がない。

だから思い入れが重要で、昔から使っていた小物とか、小さな拘り行動が心を支えるものだと考えている。

それなのに、それを平然と捨てられる。私にとって自分を証明するものは何もない。

 

ただ文章が書けて、数秘診断が得意で直感が鋭い。

…でもそれは他者にとって有り難いことで、私にとって有り難いことじゃない。

そんなものよりも欲しい物があった。次善で満足しろとするのは無理な話である。

 

次はその「興味・大切な物を奪われる」について書きます。

 

 

 

3位:「興味が急に失われる」

 

うっひょー!このゲーム楽しいー!1日使っちゃったけど、無駄な時間じゃなかったし最高の1日だったよね! よし、また明日もやろうっと!

 

____つぎのひ

 

……あー何かしなきゃいけないな…。世界って自分が満たされてたら良くなるんだったはず。……なんで今のままじゃ許されないんだろう。別に楽しいのは事実だし、これでいいじゃん。

……あー!世界うざすぎっ!わたしは今日もやりたいことをするのわよ!(プリコネ猫)

 

 

~ プリコネ猫、ゲームプレイ中………。~

 

………。

 

…だめだ。全然たのしくない。え、まじ? 昨日6時間かけてポートレイト画像編集したのに。てか、メモ帳に「To-doリスト」めっちゃ書いてあるし、うける。

 

……………。

 

………また興味なくなっちゃった。あんなに楽しかったのにな。それ以上に大切な事があるんだよね。…そうなんだ? じゃあ家焼いて無理やりさせたらいいのにね。自由があるんだって? 奪っておいて自由があるは詭弁だよ。どうせやらせてくれないくせに。

 

 

 

プリコネ猫ちゃん可愛そう……。

ゲームは1例です。ゲームは逃避目的なんだから当然だろって思ったそこの貴方!

その通りです、すごい…! カウンセラーになれちゃいますよ! 

 

そんなわけないだろ、ぶっ飛ばすぞ苦労少なめマウントナメクジ。

この「興味を奪われる」または「無理やり辞めさせられる」の体験は予兆なしにやってきます。その速度、まさに宇宙を感じちゃいます!

 

前提として「逃避するようになった」のは、奪われる体験を多くしてきたからです。

学生時代から好きなものを見つけようと努力して、ようやく楽しい物を見つけて、結構才能があって上達してきたら、急に興味を失うのです。

 

それは「期待を恐れて」という心理面も影響しているでしょう。

でも、どんなに小さな物、例えば「自分が好きなデザイン、小物、ジャンル」の自己完結型だったとしても、その興味は急に変動します。

 

そして最悪なのが、興味を失うとそれは二度と戻ってこなくなるのです。

戻ってくるのはそれが「他者貢献」に必要だったときだけで、自分を楽しませるため、安定を手に入れるために戻ってくるものではありません。

 

例外として「人生の本質」に関わるものは漠然と残ります。でもこれは「逃げられない」という印象の方が強く感じます。

声を使って他者貢献する人なら、「歌・美容」なんかの興味は漠然と継続して残る。

私だったら「文章」なので、「本・小説・数秘・コメント」などに対する興味が継続して残っています。

 

これが「逃げられない」と書いたのは、あまり感謝の気持ちが湧いてこないからです。

どちらかと言えば「やらされている」と感じます。こっちの方向に行け、と命令されている気分です。まぁ興味があって楽しくはあるのですが、モニョモニョします。

 

人生の目的意識が高い場合、このような形になるのでしょう。

「無駄な寄り道」を魂が排除しているのです。

そして人間ドラマが少ない傾向にあると考えています。この意味は「1人問答」になってしまうと言えます。

 

外に理由付けして心を慰めることが出来なくなります。

常に自分を納得させる必要が発生し、その納得させる必要ってのが、体感として外部から押し付けられた物だとしか思えないのです。

だから『なんで俺がこんな事しなくちゃならないの??』と半ギレ状態になる。

 

これは人生悲観主義と、革命主義に走らせる。

自分を殺すか世界を壊すかの2択になり、嫌な人に会ってもその人が造られた世界を嫌悪するようになって、怒りの矛先が個人には向かない傾向にある。

 

そうすると、世界は壊せないので怒りは消化されずに内側に溜まる。

気がついた頃には、自分でも理解できない非常に強い感情に振り回されることに悩む。

これが学生時代から30代になるまでの流れだと、私は考えています。

 

非常に激しい怒りを飼いならすために「瞑想」とか「悟り」に救いを求めます。

映画のハルクの気分を味わえます。うぉー!おれは最強だー!!

 

この世界に超能力があれば発現していたでしょう。それほど強烈な世界観が形成されるに至ります。

これを上手く昇華させた人物が、救世主・革命家と呼ばれ後世に名前を残すようになるのでしょう。

 

興味を奪われ、「これではだめだ」という強い信念が残ります。

それは信仰心に近く、それを支えにしないと自己を保てないとも言い表せると思います。

エゴが残っている間は、反骨心によって世界を改革しようとするだろう。

悟りを会得したら、本人の素質に合わせて隠居したり、救世主になったりする。

 

だからエゴは悟りを恐れると考えています。過去の苦労、奪われた経験に意味を持たせたいからです。

なぜなぜ、これがエゴの思考ループです。これで飯がいくらでも進むぜ。

 

なぜのループすら嫌ったとき、私たちは静寂を愛するようになる。

そうなって真の求道者の完成です。それが起きるまで奪われ続けるのだろう。

 

いくら願っても手には入らない。心が折れるまで続く、心とはエゴである証明だろう。

つまり、風の時代に入って「現実創造」がメインテーマになった現代において、私は人間であることを望んでいない。ならば何をするために産まれたのか?

 

 救いは「エネルギーグリッドの形成に役立っている」という観点である。

私がここに人間として存在することが、世界を安定させるために役立っている。

だから私は何もしないのに今日も目が覚めて、何もしないことに後悔をもたない。

 

 

 

熱が急に冷める。100% → 0%になってしまう人生

 

本題に戻って、昨日100%の関心事だったものが、朝に目を覚ますと0%になってしまう体験について愚痴ります。

これの厄介ポイントは「ある程度上達した波に乗れる時期」で発生するところです。

 

私はボーリングをしていた時期があります。

結構うまくなって「スコア200」出せるようになって、お、自分才能あるな。となった。

そして急に興味が消えた。でも無理して続けた、フォームガタガタになる。これまでどうやってたのか忘れる。興味以前に楽しむことすら出来なくなる。

んで、マイボール・カバン・雑貨、全部捨てて、後悔1つなく終わりです。

 

まじで後悔が残らないのが不思議ポイントです。

あるのは「世界・神への憎しみ」だけで、金のこととか一切思考に浮かばない不思議。

 

思い出すのが辛くて具体例を引っ張りだせないけど、こんな小さな積み重ねが行動力を奪ってきました。何かを手に入れても捨てることになるから、そもそも持つのを辞めるようになるんです。

 

昔買ったアクセサリーが飾ってあって、それを見ると「お、やっぱ可愛いな」となるんですが、それを誰かに捨てられたとしても悲しくなりません。

ただなんとなく置いているだけで、興味を失っているのが分かります。

 

そんな私が最近ハマっている?というか、するようになったのは「動画にコメントを残すこと」です。

あの「イイネ」ってやつの良さが最近になって理解できました。繋がりを感じるってやつかな、押される通知を見ると満足度がありますね。

 

んで、私はコメントを投稿するまでに推敲しまくるINFJマンなんだけど、投稿したら後は、どうでもいい~というか、反応なくてもそんなに気にならないんです。

 

だから、水面に餌投げて何か引っかかれば面白いなーって感じでやってます。

たびたびコメント返信を貰えて、『お、このコメント役立つんやな』と思います。

情報としてすぐに流れるし、誰にも迷惑が掛からないので、すごくいい感じですわぞ。

 

言い逃げって感じで「自己納得?」する訓練にもなるんですよね。

他者からの反応で一喜一憂しなくなるので、リアルの対話でも結構楽になってきました。

……いやまぁ、発端はリアルの対話で苦悩しすぎたからなんですが。

 

1人で生きる覚悟が必要だよなって、ずっと思ってて、「反応を期待しない=世界に期待しない」なんですね。

これを人間の観点で「諦めてるだけ」と捉えますが、実際、物事はフラットに見るだけが重要なんですよね。判断を無くす=放置する=フラットみたいな。

 

他者からの反応があれば嬉しいと思う。でもそれが無くて苦しんだ。

改めて反応は必要か?と考えると「別になくても大丈夫だ」と感じる。

なら、なんで悲しいの?と自問すれば『そうじゃないと味がしないから』と来ます。

 

肉感を感じたいと思う。それは現実にどっぷり染まるイメージがする。

それでは制限された創造しかできない。そしてそれでは私の目的が果たせない。

人間として産まれた意味があるけど、それとして目的は「霊界」に比重が寄っている。

 

「グラウディングできていないだけだ。」という意見を見て違和感を感じていました。

その違和感の正体が分かってきた気がします。

霊的状態で現界する必要があって、それを行える密度に地球が達していなかったのです。

 

2025年に入ってようやく土台が整い、そろそろ霊として現実を歩くことができるのかもしれません。

「魂」という表現を使うと違うのだと感じます。であるから、「霊」という設定なのだろうと理解できます。霊と書くと4次元ぽいですね、神様って意味だと思います。

 

現人神? 現代に生きる神様として、この世界に降りてきたいと思った。

それが私の魂設計だったと思います。だから、俗世を捨てる必要があった。

食べ物を食べると体調が悪くなった。人に執着が持てなかった。

 

 

 

まとめ:生きるのが楽しくなくても存在意義はある

 

引き寄せは事実だと思う。これからの世界は皆が理想を達成できる素敵な場所です。

だけど、その世界で同じように生きるのは、私にはちょっと違ってそう。

 

意識をあちらに飛ばすと私は静かになる。

もう生きてはいないと感じるほどだ。それなのに五感に集中すると生きていて、寝たら終わるかと思えば、同じように目を覚ます。

 

意味を考えると頭が重たくなって、私はそれがしたくないと思う。

再び意識を飛ばせば、私は解放されて何も現世で成し遂げなくてよいと分かる。

 

応援するのは好きだ。それが自分に当てはまらない理由は諦観だけではない。

私は求めていないのである。それを良しとすれば生きていける…と思う。

「誰かのために」を考えるから、行動の無さを責めてしまうのだ。

 

2025年、存在することに集中してよい時期に入ったのだろう。

だから救済欲求が消えて頭の中が静かになった。

これからの人類は面倒を見なくても自立できます。安心院なじみです。

 

興味を奪われてきて、楽になることしか興味がもてぬが、拙者、刀を研ぐでござる。

何かを成し遂げなくても大丈夫です。辛くなったら存在しているだけで役目を果たせていると思いましょう。

奪われた先で努力不足だ、なんて言わせないのだわ。(プリコネ猫)

 

世界が荒れてるとか言われてるけど、自分の直感的にめっちゃ安定してますよ。

過去のエネルギーはドブすぎて呼吸困難だったけど、最近は息が吸いやすいです。

なので、もう移行は終わってると思います。

移行っていうか新地球の完成は終わってるって感じかな。

 

これまでの苦労して獲得の流れは、システムから放棄されたので好きなように生きてヨシ!

各個人が世界を作るマルチバース大戦の始まりなのだわ。

嫌なことより楽しいことをするのよ。

 

…え?楽しいことが分からない?……ほんと、バカな人ね (えっちな未亡人)