2週間ぶりに人と直接会いました
昨日は久しぶりに実家に行きました。祖母に用事を頼まれたからです。
荷物の配達を2組にして、それぞれ10~30分ほど会話しました。その後、実家の食器洗いをして「はま寿司」に寄って帰りました。
人の役に立つのはやっぱり幸せな気持ちになりますね。それを再確認しました。
ただ思ったのが、「人との関わり」が楽しいわけではなくて、彼らの状態に貢献できることが嬉しいっていう俯瞰した視点でした。
どこまでも他人事なんですよね。彼らに感謝されるけど、彼らと交わるものが何も存在しないと直感的に感じるんです。
なんというか「関係の工数」みたいなものがあって、会話が進むたびに数字が減っていく感覚がするんです。それが終わったら終わりになって、そこから立ち去りたくなる。
人間としての交わりを求めていないと気が付きます。私は風みたいなもので、彼らの空気を入れ替えるように一瞬だけ立ち寄るのです。
人との関わりは瞬間だけなんです。どれくらい貢献したかで決まっていたのがこれまでの時代でした。親子関係がそれですね、でもそれって辛いですよね。
これまでは、手を繋いでエネルギーを循環させていたと思います。(輪の循環)
テニスのラリーみたいな感じです。でもこれからは自分の中で循環させる生き方になっていきます。自分のエネルギーに合わないなら捨ててしまって大丈夫です。
それは親・友人・子供、倫理観に逆らう結論になっても私たちは裁かれません。
自分自身が納得していれば大丈夫です。助ける人を選んで大丈夫だという意味です。
マニュアルの従った人助けには意味がありません。
人助けと遊ぶことは同じ価値があります。
そもそもエネルギーの比率が高いのですから、物質的貢献は本質ではありません。
私たちが「相手を喜ばせたい」と考えるのは、エネルギーを色付いた物に変えるためです。色づくなら何でもいいんです。だからお笑いとか芸術に特化したほうが、数秘33の目的には適していると考えます。
数秘33は楽天家なので、その生き方がまさに光源みたいなものです。
んで、数秘33は頭を使うことが苦手に設計されているので、集客とか場所の確保とかはできません。ただ思いついた生き方をしていくだけになります。
ならやりたいままに生きるのが1番貢献度が高いと考えられます。
それを無意識的に理解していると思います。だから「馴れ合い」になってしまう関係は持てないのです。これが関係を持続できない原因だろうと思います。
それを人々は悪いことだと言います。でも本当にそうでしょうか?
人類は動物を超越するように求められていて、本当の幸せにたどり着くためには「今」を生きるしかないのです。今を選択し続ける利点を学ぶ時代に入っています。
もう無視することはできません。
数秘33の感じていた違和感を表に出していく時間です。
その場だけの繋がりだとしても、それがエネルギーとして巡りまわってくる世界になったのです。私たちが恵まれていなかったのは土台が整っていなかったからでしょう。
これからは数秘33に都合のよい世界です。
そしてそれを要求されているので、遠慮せずに私たちは主張していく必要があります。
これからの数秘33は合わせるよりも主張する
直感的に『これじゃ助けにならない…』と感じていたと思います。
苦しいのが地球のデフォルトだから、仕方ないよね…。って周りに合わせて狭い活動を続けてきましたよね。でも、これからは合わせなくても大丈夫です。
嫌なことを拒否すれば褒められる世界になるんです。
つまり押し込められていた人が輝ける時代になります。それに伴って数秘33の視界には明るい映像が多くなるでしょう。
この生き方は「直感」が最も必要とされますが、それに身を任せることは恐怖を伴います。しかし私たち数秘33は「本体=直感」みたいな非人間エイリアンです。
ですから自然体に戻れば、皆のお手本になるんですね。
これまで皆に否定されていた私たちが、今度は皆の参考になります。
私たちの考えを聞いてくる人達が増えるでしょう。私たちの様になりたいと言ってくれます。そうして私たちに本当の友人が出来るのだと考えています。
直感とエネルギーの生き方とは、言葉では表現できないものです。
ですから、私たちは無理して説明しなくても大丈夫になります。
もう証明するのは終わりです。私たちのようになりたいなら見て学べと背中で語れるようになります。でも数秘33は優しいので寄り添いますよね。
そこで馬鹿にされることが減ると思います。
「理解したいのか・したくないのか」の2択だからです。
私たちを馬鹿にするなら、それは「したくない」の表現です。なら私たちは捨ててしまって大丈夫だということです。幸せの責任は個人が負う時代に入っています。
自分で選択して幸せになれるから誰かに依存して生きることは許されません。
私たち数秘33はエネルギーの扱いがうまいと思います。
でも、それに負い目を感じていた。幸せになることは悪いことだと教えられてきました。
もう制限を外して大丈夫になりました。だから自己主張していくことを通して、本当に欲しかった場所に歩き始めるタイミングです。
誰かの世話をする時間は終わりです。
世界の土台が完成したからです。私たちの役目の一つが終わりました。
これからは違うフェーズです。支えるよりも輝きを見せる時代です!
数秘33が嘘つかなくて大丈夫な時代になります。
他者の幸せは、私たちの行動の副産物として一杯溢れます。
判断のない世界に生きていきたい
私が求めていた姿とは、全てを認める在り方だったと思います。
なぜ変わる必要があるのだろうか。そうしないと駄目だからと教えられました。
自然体で生きられない=苦役の場所になるだろうと考えます。
私は、それを当たり前として生きることで発生するエネルギーが嫌いです。
人に喜んでもらうことしか興味がありません。
だから本人が喜んでいるなら何でもいいんです。でも「あれは変」とか周りが言うから、それを基準にして相手を評価しなくては駄目で、本当に伝えたい言葉が言えません。
そうした行動の癖が、私の口から貶す言葉を吐き出す。
これが起こるたびに、魂との乖離が起こって足が浮いたようになります。グラウディングが出来なくなるんですね。そして周囲の影響に振り回されるようになる。
頭を使って判断している毎日にうんざりしました。
もっと楽しいことで体を使いたいです。なぜ欲しくもない結果のために努力しなければならないのでしょうか。それを強要していた世界はクソです。
皆が判断しないと決めれば、好きな生き方ができます。
私はそうなって欲しいから、頭を使う生活をやめています。
記憶力が低下したけど、必要ないものなんだったと分かります。
困るようで困らないので不思議な感覚がします。我々は頭を使って考えているつもりでも、実際それは反覆しているだけの無駄な処理なのかもしれません。
『人に説明できないから困る』と思うが、そもそも何故理解させたいのかと疑問に思うようになりました。理解する相手、理解しない相手、どちらも私の空想物であることを理解しています。結局、どちらも批判を作り出す疲労要素なのです。
作り上げていく醍醐味が人生なら、能動的に意思表明する意味もあると思います。
これからは「人が判断せずに済む土台づくり」の時間だと思う。
私たちがその利点を見せつけることで、人類の集合意識を変えていけると信じています。
責任の肩代わりよりも有意義な仕事が私たちに与えられています。
もう我慢して合わせる生き方はやめましょう。
私たちが自己主張すれば、その数だけ人々が解放されていくからです。
嫌だった関係は捨てて、本当に欲しいものだけで生きていきましょう。
私たちの美的センスの良さを見せつけてやるときです!