数秘33の思考回路を出力します

数秘33の私が思っていることを書いています。スターシードの視点も多めです

【数秘33】楽しむと助けるの両立が数秘33を難しくするのか

 

価値観の提供が数秘33の役割だと思う

 

数秘33は依存よりも独立するタイプです。

だけど、現世の欲が少ないのであまり活動的にはなりません。必要に迫られてしか行動を起こせない理由がここにあります。

欲というよりも、強迫観念として『人助けをしなければならない』という考えに背中を押されて人の役に立とうとします。

そこで数秘33は『助けられるなら何でもいい!』と相手の方法に依存するようになります。ですが、その相手は助かりたいと思っていない場合が多く、大体の活動は無駄骨に終わります。

いえ、それは遅咲きで咲く花なのですが、今を生きようとすれば結果が伴っていないように感じられるのです。だから数秘33は迷走してしまいます。

 

さて、数秘33は「3」としての要素が強く現れている数字だと思います。

従順な奴隷のように従うことはできません。

最初は『なんでもいい!』だったのが、『これじゃないかも…』としょんぼりして、その場から逃げ出したくなります。自己犠牲は向いていない傾向にあります。

なので数秘33がボランティアで有名になっていたとしても、それは相手よりも自分の欲求が大きいのです。活動できている数秘33は魂の本質で生きているか、自我を拡大させた自己満足で生きているかの二択だと思います。

 

我々は相手の意見を参考にして人助けをしてきましたが、本当に必要なことは「生き方を見せること」だったと感じています。

直接的な手助けよりも、音で振動させて影響を与えるような方法が数秘33には求められています。

ですので、医者やカウンセラーは向かない傾向にあるでしょう。カウンセラーは副次的な物であり、いわば「数秘33の呼吸」みたいなものです。

その呼吸を意識して使おうとするから疲弊するのであって、呼吸は分け与えるものではなくて、自分に必要だからしているものです。

 

私たちの立ち振舞いが人々に好影響を与えていきます。

「3」として生きていくのが、これからの世界では正解だと思っています。
常識よりも自分のために生きるのです。それを他の数字よりも強く要求されている様な気持ちになっています。

「1」や「22」は自分よりも他者貢献、社会の発展への寄与が重要視されていると感じています。だから「3」のように唯我独尊では生きられないと考えています。

そこには責任というか、一歩立ち止まる瞬間が必要になってきます。計画の見直しですね。それは楽しいことではなく、義務的な何かだと私は感じています。

 

数秘33は自由人として生きろ、と神様に指令を貰っているのだと思います。

だから、サンプルとして友人関係に「3」が多く存在してきたのです。

「3」よりも更に自由になっていく必要があります。常識はそもそも存在していないと世界に証明していく役割があるのです。

これが数秘33のリーダーシップであり、愛の表現と言えるでしょう。

愛とは自由であること、批判がないこと、貴方を見守ることを含んでいます。

何かを達成する「1・22」は尊敬はできるが近寄りにくいと思われます。敷居の高さで疲弊してしまうよりも、在り方の自由を私たちは与えるのです。

 

 

彫刻家のように生きよう

 

完成形は自分が理解していたら大丈夫。結果よりも過程が楽しいのです。

一心不乱に掘り進めている姿を見せて『何がそんなに楽しいの?』と疑問を持たせることから始まります。

学びたければ見て学べという親方スタイルが数秘33の生き方でしょう。

教えるだけの度量はありますが、それはテンポを著しく落としてしまいます。

瞬間を生きることが「3」には最も必要になります。それは自分の心に嘘をつかないという意味です。数秘33は他者の雑念の中に逗まってはいけません。

 

同意を得ようとすることが、数秘33の乗り越えるステップです。

なぜ同意を得ようとするかと言えば、相手の迷惑を考えているからです。それは彼らの方法論を学んだから身についた処世術です。

しかし、この世界には迷惑というものは存在していません。行動の全ては神様からの指令であり、それに抗うことはできないからです。

私たちはどんなに倫理的でない生き方をしていても、それはしなければなりません。

 

「3」は人間の広告塔として、人の前を歩かなければなりません。

それが非難される生き方だったとしても、それを為さねば「3」は息を吸えなくなってしまいます。我々数秘33も同じように、陸に住んでは呼吸器無しでは窒息するのです。

死ぬか生きるか問題だと思って、私たちは生きるために活動しなければなりません。

笑い事ではなくて、本当にそうしなければ数秘33は生き地獄なのです。

ありのままを見せることが神様から強く要請されています。だから、私たちは普通に逗まれなかった。朝に目が覚めれば、またリセットされた思考回路で人生を歩かされてきたのです。

 

明確に役割があります。それを果たすことは明確な形を為さない可能性が高いため、より高次元のエネルギー的視点から達成を確認しなければなりません。

ですから、人間から逸脱する必要があるのです。

新人類として風の時代を生きるために、我々は今ここに生きているのだと思います。

これまでの活動はいわば準備運動でした。それはメインの競技を思わせるものではない、共通の動きであったが、これからは温まった体で金メダルを狙うタイミングです。

 

 

やりたいことだけやりましょう

 

この世界に価値のあるものはありません。

私たちが何を体験したいと思うかだけなのです。そしてそれを明確に認識していない限り、『こういう物もありますよ?』と提案されることが続いてしまうのです。

臆さずにやりたいことを行動していきましょう。

制限はありません。素材は無限にあるからです。エネルギーを振るうために必要なことは、世界に遠慮をしないことです。

どこかで『世界を壊してしまうかも…』と制限をかけていました。

それは他者の世界を守るためだと思っていました。しかし、他者も存在しません。ただ私たちの思いを見せるために、彼らは言葉を使ってくれているだけなのです。

 

何を体験したいかだけです。体験したいことを表に出せば、それに必要な物事がやってきます。明確にすればするほど、彼らの言葉は想像した通りの物が発せられるでしょう。

つまり、世界は私の脚本による演出だという確証が得られるのです。

それを寂しいと思う私がいました。ですがこれだけが唯一変えられないシステムのルールなのだと考えています。そういう場所なのです。だから他者に遠慮して自分を押し殺す行為も、ただの滑稽な馬鹿者の振る舞いにしかならないのです。

 

独立した世界で好きなことができる。そしてそれを共通エネルギーに伝搬させることができます。物ではなくて情報の番号としてエネルギー場に提供することができます。

そうした協力関係によってエネルギー場の完成を目指していくことも、この世界の項目の1つでしょう。そしてその方向性とは、大いなる存在によって定義されているため、我々は否が応でもそちらの方向を歩んでいきます。

大局でみればただの終わった映画に過ぎません。

ですから責任を取る誰かも、地獄で永遠に苦しむ人も存在していないのです。

それはただの演目であり、それを望めばそこに行き、終わりたいと思えばテレビを消して終わりにできるような、ただの休日の一コマのような物なのです。

 

やりたくないことは捨ててしまいましょう。

苦労は定義しているから起こるものです。それを意味ないと思うことができれば起きません。そういう世界だからです。ただやりたい事が目の前に現れているだけです。

それを選んでいることに意識的になる必要があるだけです。

見る者として目を覚ましましょう。

それは33が産まれてからずっと持っていた違和感の正体です。我々は常に半分目覚めていました。それに自信をもって振る舞うときが来たのです。

 

人の話しを聞くのは終わりです。それは貴方が作っていた演技台本だったからです。

見たくないものは貴方の不安定さが見せていた確認作業です。常に台本を意識していきましょう。そうすれば「やりたいことだけ」の人生を歩めます。

それが夢想ではなく、本来の人間の在り方だと見せつけていくことが数秘33の役割。

我々は先に立って自由を表現するのです。

これからの世界はそれによって皆が幸せになります。我々が見たかった世界が本当にやってきます。もう悲しむ人を見て、自分の無力を悔やむ必要はなくなるのです。

 

やりたいことだけをしましょう。

毎日寝ていても大丈夫です。ゲームだけで1日を潰しても大丈夫です。

世界は優しい場所です。貴方が納得するだけで完結する世界です。

今日も1日、自分を優しく扱いましょう!