数秘33の思考回路を出力します

数秘33の私が思っていることを書いています。スターシードの視点も多めです

【数秘33】相手に説明しようと必死になる

 

人がぶつかってきて鬱陶しい

 

数秘33は相手の反応を見ていつもビクビクしているような気がします。

道ですれ違うときに「いい気分」になれる33人って存在するんでしょうか。私は広い道路なら必ず反対側に移動します。でも散歩道ってだいたい狭いのよね…。

 

数秘33の人は「人の寄って来られる経験」が多いのではないだろうか。

スーパーや観光地など、人が密集するところでは何故か人がぶつかって来ようとするのです。どんなにスペースがあっても、わざわざ私の傍で風切り音を起こして通り過ぎていく人達。だからテーマパークは嫌いなんだ。

この現象を起こす対象は「無意識的」であることは確実で、彼らのエネルギーは濁って停滞しているように感じられます。私に向かって助けを求めている。

でも、仮にぶつかって会話が発生したって解決には向かわない。相手が一方的に嫌な顔をして「エネルギーを寄越せ」と無言の圧を与えてくるだけである。彼らは解決よりも一時的な開放感を求めているのであった。

 

私たち数秘33は「人の下に立つこと」を幼児の頃から要求されてきた。

数秘33の人達が「6」として生きる大元の原因はこれだと私は考えている。多くの人々は「自身よりも劣った存在・下に置ける存在」を求めている。日々の不安を解消するために、33を消耗品として扱うのだ。その為、それに適応した33は靴紐がほどけたままで歩き回る様な暮らしを始める。

事あるごとに躓き転ける。それは食器を割るなどの日常生活、物をなくしたり壊してしまう学校生活、簡単な記入ミスをしてしまう社会生活など、幅広く悪影響を与えている。

ADHDの特性と同じだが、これは対人関係だけに依存しているように思う。
スーパーマーケットなど、人目の多い場所で頻発する。他人の「はぁ生きるのしんどいわ…」というエネルギーを感じとった瞬間に、私は棚にぶつかる。

 

店員の舐め回すような視線を感じるたびに、買う予定だったリストを忘れてしまうのだ。なぜか不機嫌な彼らは、私たちを睨めつけるように視線を向けてくる。

これを知人に話したとき「いや自意識過剰でしょ、俺もよくあるよ」と言われたけれど、そんなことは決してない。33やライトワーカーと呼ばれる人は必ずこの被害にあっている。人々の粘ついたエネルギーが、無言のままに私たちの元まで届けられるのだ。

 

 

人の責任を背負う必要はない

 

この不機嫌な人々、助けを求める存在は無視してもよい。

彼らは依存的で、そもそも自分が「何を求めているのか」すらも自覚していない。人生相談に乗ったところでまず答えは聞き出せない。それどころか「お前つまらないよ」というエネルギーを飛ばして逃げ出そうとする。

この無責任さに、わたしはずっと苦しんできた。

幼少期から「私を助けてね~」という舐め腐ったエネルギーを純粋に信じて、人々の機嫌を高めるため奮闘してきた。いつも彼らの要求に応えた。

それなのに彼らが成長することは「10%」くらいの確立だった。不毛すぎてハゲそうだ。

 

彼らは「自立促進プログラム」であろう。33育成プログラムの教材なのだ。
「助けて」という言葉は、幽鬼の発した音だ。亡霊を助けることはできない。しがみつかれて自分自身が冥界に引きずり込まれしまうだけだ。

 

世界の分離が明確になっている現在において、適材適所という言葉の意味が理解できる。

皆が一様に同じ場所へ向かうことは健全ではないのだろう。わたしは皆がそこに辿り着けると思っていた。だから頑張ってきた。でも人にはそれぞれに合った場所が存在していることを知った。

このことから、「助けて」と言われて私の場所を提供していた行為が、彼らの為になっていなかったと理解した。彼らは助けを拒否したというよりも、困惑していたのだろう。

提示することはしても、手を引くところまでやってしまうのは過保護すぎるようである。

 

支えて導くのは「数秘6」の役目だと私は思っている。

看護などの仕事は「33」の適正ではないと感じる。33は6よりも「3」としての活動が重要なのだと思う。つまり人類の広告塔としての役割である。

広告塔とは「ありのまま」で着飾るファッションモデルだ。人々に希望を与えるアイドルである。

 

わたしは「数秘3」の人に対して「好きなようにやりなさい」とアドバイスしている。

3は神様に贔屓された数字であり、3の行動=神様の望みということで、3が好きに動けば動くほど、3の人生は順調で素晴らしいものになっていく。

このとき重要になるのが「人の意見を取り入れないこと」である。誰々がこう言っていた~、などで行動することは、3の生き方ができていない。3は王族のように振る舞う必要があるのだ。媚びへつらってはならない、胸を張り常に正しいと主張するのである。

 

『人々が後からついてくる』

このスタイルこそが「33」の理想とする生き方だと考える。

手を引く優しさは「6」に任せておけばいい。それよりも重要なことがある。「33」の役目は軽くない、そのことを理解しなければならない。

他者の責任を背負ってはいけない。そんな役割は神様から与えられていないからである。

 

 

相手に理解してもらおうと考え続ける

 

直接関わっていないときも、33は相手のために頭を使っている。

「どうすれば伝わるだろうか…」「ああ言っていれば変われたはずだ」「次はこうしよう」

こんな考えでグルグル四六時中悩んで、頭の中で会話のリハーサルが始まるのである。

「やっほー元気?前言ってた話、○○で△△なんだよねー。だからつまりこういう意味で、こうだからこうなるって訳!わかったかな、よかったー!安心したよー!」

 

風呂に入っているときが最もグルグルしてしまう。40分以上、こんなことで頭をフル回転させているのだ。やめようと思っても止まらない。借金に追われた債務者のようだ。

この強迫観念はどこからやってくるのか、私は1つの考えを得た。

上の項目①で「人々は自身よりも劣った存在・下に置ける存在を求めている」と書いた。

これについて具体的に解説していく。

 

私たちは「自分の幸せ」を「ダメ」だと言われ続けてきた。わたしが元気であることは彼らにとって不都合なのだ。常に「下」であることを望まれ、私だけが変わっていくことは叱責の対象だった。

私だけがノビノビしていると周りの人が不満そうにする。だから私は彼らの元に戻って「一緒に行こう!」と手を引くのだ。しかし、彼らは動かない。動かないだけならまだしも、私の行動をバカにしてくる。

…それなのに、しばらくすると「助けてくれよ~」と再び要請が入る。だから私は「わかった!こっちだよ!」とまた手を引くのだ。なのにまた拒否され罵倒される。

 

これが繰り返されるうちに「わたしがダメなんだ」と思い込むようになった。

そして人に理解してもらえるように、一生懸命考えるようになる。

33は人間ではない。ガワだけを真似した宇宙人である。社会に適合できているのは「擬態」を頑張っているからだ。地球語は遅くて使いづらい。33が真実を話すとき、地球語に変換する必要があって、「1」という真実が「50~100」の文字列に膨れ上がる。

 

彼らに理解できる言葉、これを作り上げることが強い負担になる。

そのうえ、頑張って作り上げた言葉は「長すぎる」ということで、相手にシャットアウトされ、ただの紙束になってしまう。

それなのに、この結果を「わたしの失敗」として捉える。また考え直さないとダメだと思って、家に帰っても寝て起きても、ずっと説明文を考え続けている。

人のオモチャにされて33は道化を演じて笑われる。
人間じゃないから、社会のルールを守れなくて笑われる。

これらの経験から33は自分を最優先に扱うことが出来なくなった。「他者を救う」という目的が俗世の色に染まり、本来の意味から逸れた使い方をされるようになったのである。

 

 

他者を置いていくことは見捨てるとは違う

 

俗世の地球人は「行動こそ正義」だから、33が何をしたかばかり褒めてくるよね。

だから33は、行動が人々の役に立つというアイディアに縛られて、方法論を変えることができなくなってしまうのだ。

心の底では「これは無駄だ、意味ない」と分かっている。でも相手を見捨てることはできないし、彼らの心の声を無視するのは苦しい…。

 

だが、地球のアセンションが進み、これを無視することは難しくなってきた。

「33」は次のステップに進むことを神様から要求されているようだ。人々に付き従う人生から、自分を立身出世させる人生に向かって変化していくのである。

その過程で「自愛」を学ぶようになった。1人の時間をたくさん用意して、やりたいことだけで毎日を過ごすようになった。

そんな日々を半年以上続けて、ふと気が付いたのは、私が関わらなくても健全に生きている人々の姿であった。彼らは相変わらず愚痴を言っているけれど、なんだかんだ望みを果たせて満足していることが、彼らのエネルギーから感じとれるようになった。

 

見捨てられず困っていたのは、私の一人相撲であったのだろうか。
どちらにせよ、ふっと肩の荷が降りて楽になったのを憶えている。

 

私は33として常に俯瞰した視点を持っていた。

これによって、彼らよりも上だと思っていたのかもしれない。だから彼らは「庇護すべき対象」で、細かいところまで手伝ってあげないとダメなんだと思っていた。

実際役に立っていた時もあっただろう、だがそれ以上に役に立てる方法がある。

「3」の広告塔として、33の在り方を世間に見せていくことが最も人類の発展に役立つのである。33は依存とは程遠い存在だ。「6」のように触れ合いを求めておらず、ただ純粋に助けたいと思っているだけなのだ。

助けたら対象に興味を失う理由がこれだろう。通常であれば終生の隣人になるような貢献をしているのに、33はそこに情を置くことができない。

 

世俗の声が「孤独」を責めてくる。だがこれを乗り越えていく必要がある。
その強さが33にはある。

私にはアセンションを見届けたら旅立つビジョンがある。たぶん「アンドロメダ」だと思うけれど、星がなくてもエネルギー体に戻れば孤独など存在しなくなる。

俗世の声を捨てるフェーズに入ったのだ。
これまでのように迎合してはならない。私たち33は人類の灯台である。これからが私たちのメインステージなのだ。だから悲観していた人生を新しい考えで塗り替えていく必要があるのだ。

 

まずは「自愛」である。生きることに希望を戻していこう。

私は少しずつ、世界で生きることが楽しくなってきた。だから皆もきっとなれる。世界に貢献することが義務ではなくて、自分のやりたいことに変わってくれるようになる。

いま流行りの「タフティ」おすすめっすよ。三つ編みっていう背中のエネルギーパスを活性化させる手法がささるし、楽だし、実感がはやいかも!

「モリオン」を買ってエネルギー状態を守ろう。音叉とセージで浄化するのもオススメ。セージは好みが分かれるので注意。とにかく、自分のためだけで時間を使っていきましょう。他人に時間を使うフェーズは終わりました。これからは自分を立たせる時間です!

 

人間モドキに産まれたことを感謝できるように変化しよう。

わたしは去年まで不可能だと思っていました。でも「2025年2月8日」の直感が降りてきてから、変われる確信が強まっています。

死んで輪廻の輪から抜け出せなくなるのも嫌だし、満足して死ぬために、自分のための人生を作っていきましょう。

人は自分で道を選べます。だから自分のことだけ考えていけば大丈夫!